俗世の価値観にとらわれると、幸せとは物欲が満たされたり、やりたいことが出来たりすることだと考えがちです。しかしそれが真の幸福だと言える根拠はないのではないでしょうか。スピリチュアルの世界では、刺激に乏しい生活であっても、そこに幸せが存在することに思いを馳せることが出来ると考えられているようです。つまり、何かの出来事で幸せが発生するのではなく、平凡な日常生活が延々と続く中にあって、幸福を感じ続けるというわけです。一時的に何らかの要求が満たされると、人は満足したり、喜んだりしますが、その喜びがずっと保持されることは少ないと言えるでしょう。ですからスピリチュアルの世界では、そのような事象を重視することはないようです。もちろん喜ぶことを否定するわけではないので、適度に感情を吐露する分には構わないのですが、たとえその状況が消失しても、がっかりすることなく、冷静でいられるようなのです。そもそもスピリチュアルの世界で考える「自分に必要なもの」とは、物欲の対象を指していないようです。物欲は俗世の価値観そのものですから、充たされなくても苦にならないとされています。面白いことに、物欲から解放された人ほど、何故か色々なものを入手し易い傾向にあると言えるかもしれません。
 俗世の価値観は、物欲だけではないと言えるでしょう。他人に嫉妬、憎しみといった負の感情をぶつけることがありますが、スピリチュアルではそうした負の感情を無駄なはたらきと捉えているようです。誰しも聖人ではないのですから、相性の良くない人に対して、敵意を向けることもあるでしょう。しかしその敵意を上手くコントロールすることが出来れば、負の感情で自分自身を苦しめずに済むのではないでしょうか。スピリチュアルを学ぶことで、心の持ちようをコントロールできるのには理由があるといわれています。それは、スピリチュアルが定義する世界は、愛そのものだとされているからです。人間はもちろんのこと、自然、無機物、動物といった全てが、その本質に愛を持っているということなのではないでしょうか。

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